標高190センチメートル

190cmの世界一周旅行記、写真10万枚、ブックレビュー、コラム等等。生き様赤裸々。

イランあれこれ
 190cmです。まだエスファハーンにいますよ。かつては1つの町に3日以上いる事はないペースだったのですが、ここは撮るものが多いし、体力・気力の問題で、一箇所の滞在時間が延びています。
 旅初期、メキシコで出逢った“出国時26歳、気がついたら30歳”と言ううっかり長期旅行者あんちゃんの予言が的中しました。
『そのペースは良くて3ヵ月、頑張っても半年はもたないね。』

2006_09_17_札束
 さて、これは闇取引の現場、ではありません。DHLで支払いしている風景です。10,000イランリアール札が100枚、つまり壱百萬イランリアールです。しかし、1万円ちょっとの価値しかありません。このボリューム感がたまりません。
 
 いい加減デノミすればいいのにと思うんですけどね。みんな財布がパンパンです。

2006_09_17_スパイダー少年
 政府レベルでは犬猿の仲で国民感情的にも反アメリカなこの国ですが、アメリカ文化は結構入ってきてるようです。この街のレストランは80%くらいハンバーガーとホットボッグ、ピザしか無いと言う有り様ですしね。
 中にはマクドナルドやサブウェイのポスターを勝手に使ってる店もあります。味は格段に劣ります。

 筆者は最近缶詰買ってきて食ってます。レストランより美味しいので。

2006_09_17_モンゴル少年
 この国にはかなりモンゴロイドがいる気がします。でも華僑ではないようです。中華のオーラは皆無です。

 考えてみれば、この辺一帯もかつてはモンゴル帝国に征服された時期があるんですね。その時にでも混じったのでしょうか。

2006_09_17_ペルシア青年
 多分、こんな顔がペルシア系なんじゃないでしょうか。

2006_09_17_トルコ人っぽい奴
 この青年はトルコ人に似てますねぇ。頼んでも無いのにイスタンブールでカラスミ両手に全く同じポーズをとってくれたトルコ人がいました。この国はかつてトルコ人にも征服されました。

2006_09_17_インド?少年
 この子は正体不明ですね。山岳民族みたいな、ちょっと素朴と言うか、垢抜けてないといった顔です。インド人に見えなくも無いかなぁ。

2006_09_17_アラブ?
 さらに田舎臭く、素朴になりました。眉毛繋がってます。剛毛。東に行けば似たような人種に逢えるかもしれませんね。アラブの灰汁がキツイおっさんにも似てなくも無いです。
 この国はアラブ人にも侵略され、その際イスラムに染まりました。それまではゾロアスター教が国教でした。


やっぱり凄いゾエスファハーン
2006_09_17_エマームモスク遠景
 今日は宮殿に上りました。エマーム広場が見渡せました。さすが、大さま専用のバルコニーだっただけはあります。
 しかし、本当に壮大です。

2006_09_17_王専用モスク遠景
 どれだけ広いか前の記事よりは解り易くなったかと。規則正しく並んだバザールのアーチが美しいですね。

2006_09_17_家族写真
 王のバルコニーではイラン人観光客が記念撮影してました。ピースピース。この家族は非常に柔軟な考え方なようで、筆者が撮ってもニコニコしてました。ムスリムだとは思いますが、イラン人じゃないのかもしれません。

2006_09_17_子供集合写真
 今度は子供たちだけです。長男君の眼鏡が曲がりすぎてますが、この硬直っプリから見て気づいてませんね。


2006_09_17_覗き見激写
 いやぁ、筆者はすっかり周りの人間に警戒されたり、撮れ撮れ言われるカメラ小僧と化しました。


金曜寺院
 マスジェデ・ジャーメ、訳して寺院・金曜です。割と色々な街にあります。イスラム教では金曜が休日です。教会でいう日曜日のミサみたいなことを金曜日にやってます。

2006_09_17_金曜モスク正面
いやぁ、非常に入り組んだ迷路のようなバザールを抜けてやっと辿り着いたんですが、迫力満点です。ぱっと見、エマーム広場の寺院と大まかな形は同じなんですが、装飾が凄いです。

2006_09_17_無限模様
 緻密で精細です。

2006_09_17_天井
 不思議な形状です。

2006_09_17_魔方陣模様
 びっしりです。




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凄いゾ凄いゾ、エスファハーン
 こんにちは、轢かれた怪我は痛くなくなりましたが寝てる最中にクーラーつけられて風邪を引きました190cmです。イランの安宿の冷房は中央管理なんですね。ふざけた話です。

2006_09_14_エマームモスク夜正面
 エスファハーンにいます。ここは他のイスラミック観光地とは別格です。トルコ、シリア、ヨルダン、エジプトとムスリム国家を周ってきましたが、これほどまでに筆者を圧倒した場所はありませんでした。物凄いです。

 写真はエマーム広場のエマームモスクです。夜はライトアップされてます。

2006_09_14_エマーム広場全景夜景
 エマーム広場が物凄いです。広場全体を囲むバザールと4辺に位置するモスクや宮殿の規模、緻密さ、美しさ。最高ですね。夜はライトアップされてます。このウルトライスラミック建造物群に360度囲まれる感覚は中々です。

2006_09_14_宮殿夜景
 これは宮殿です。手前にあるのは噴水です。ビバ。

イスラム芸術
 偶像崇拝が禁止されているイスラム教では唐草模様や幾何学模様が発展しました。最近のイランではムハンマドなんじゃね?と言う渋いおっさんの肖像画、キリストに似てなくも無いが濃いアラブ系の顔(キリストもアラブ人のはずだが)、を良く見かけますが、現在のイラン人とかつてのイラン人は全くの別物と考えたほうがいいのでしょう。エジプト人もそうですが、素晴らし遺跡なんかのある国程、現在は退廃している気がします。不思議ですね。イラン人はエジプト人の3億倍くらいマトモですが。偶像崇拝禁止のくせに大統領の肖像とか掲げまくってますし、不思議な国です。

2006_09_14_エマームモスク昼正面
 さて素晴しきかな、古代イラン人。至高の芸術です。建物全体が陶磁器のような趣です。しかも超巨大です。

2006_09_14_天井
 これは入り口の門の天井です。こんなに複雑に作ってあります。蜂の巣のような、蜘蛛の巣のような。
 本来モスクの入り口の門はメッカの方角を向いているものなんですが、これはエマーム広場に面している為、メッカを向いてません。
 しかし中にある門は45度折れてメッカを向いてます。

2006_09_14_エマームモスク天幕
 門を入るとこんな感じです。現代イラン人の程度が知れてしまうこの惨状。こんなところにボロイ天幕を張るという感覚が理解不能です。何も考えて無いんでしょうね。きっと。まあ、日差しがきついのは解りますが、動物的に欲求に忠実すぎると、美意識も糞も無いんでしょうね。

2006_09_14_エマームモスク昼斜め
 広場に面しているこの門は常に美しく保たれている様子でした。中は天幕があったり、絨毯が丸めて放置してあったりハシゴがあったり色々です。建物は素晴しいんですけどね。扱いが・・・。


ロテゥフォッラー・モスク
2006_09_14_王族用モスク外観
 王族専用のモスクだったのがこのモスクです。上記のエマームモスクも革命前はシャーモスク(王のモスク)と言う名前でしたが、あちらはシャア専用ではなかったようです。

2006_09_14_王族モスク正面
 圧倒的に細密な装飾が特徴です。細かすぎて遠くからは混色して見えるのですが、それもまた綺麗です。

2006_09_14_回廊
 門をくぐると、これまたビッシリと装飾された廊下を行きます。

2006_09_14_王族モスクのドーム
 回廊を抜けるとドームに行き着きます。全面が超微細装飾の巨大ドームです。等間隔に配置される光取りの窓、差し込む光、どこのダンジョンだって感じです。さらにこのドーム、二重構造になっていて、外壁ドームと内壁ドームが独立しています。音がとても響きます。面白いくらいヤマビコ現象が起きます。

2006_09_14_天井
 天井のこの緻密な模様、肉眼じゃ良く見えないくらい天井が高いんですが、手抜きなしです。

2006_09_14_ドーム内壁
 隙間無く飾られたドームの内壁はどこか異次元に連れてってくれそうな気もします。
 筆者は東回りで良かったと思います。先にこれららイスラム建築を見てしまうと、トルコなんかのモスクを見ても退屈してあくびをしてた事でしょう。あれはあれで独特なので、比べるのはナンセンスですけどもね。
 今後は段々ヒンズーの色が出てきて、仏教も出てくるはずです。

エスファハーンの人々
 テヘランの若いイラン人が構ってクレクレ小学生だとすると、ここの若いイラン人は不良高校生でしょうか。性質の悪さにおいて進歩してます。明らかな害意を持っています。それも暇つぶし程度の動機なのでは?と言う有様です。

 まあでも、エマーム広場にいるイラン人は観光客ばっかです。

2006_09_14_カンフー少年
 アチョーーと言いながら筆者に駆け寄ってきたイラン人少年です。イラン人は、東洋人はカンフーの使い手だと思ってるようです。中々可愛いので筆者も「ちぇすとー」とか適当に言ってしまいました。喜んでました。


2006_09_13_イラン姉弟
 恐らく初登場、イラン人お姉さん。弟が撮れ撮れと言って来たので「あ、お姉ちゃんも入っちゃったー」って感じで撮りました。建物とってるときにバリバリカメラの前を横切るので、別に撮っても問題無さそうなんですけどね、イラン人の姉ちゃん達。

 最近の若い姉さんは色つきのスカーフを纏ったり、ロングコートにジーパンと言うスタイルも多いです。ストイックにブルカ着てるのは中年以上が多いです。勿論若い子でもいますが。どちらにせよ厚着で暑そうです。

2006_09_13_イラン人カップル
 イラン人カップルを撮りました。明らかにお姉さんの顔がしかめっ面というか、引きつっているし、目も逸らしてます。やっぱり嫌なんでしょうね。 お兄さんはノリノリでした。しかし、婚前の交際は禁止なんじゃなかったの?と思うのですが、この後絡んできた若い不良イラン人に面白い話を聞けました。
 ちなみにこのお兄さんは、彼女もファインダーに入っている事に気が付いてなかったかもしれません。


@ホットドッグ屋 昼飯食いながら。
不良イ人「イランのガールはセクシーだろ!」
筆者「いや、ブルカ着てちゃ全然解んないから。」
不良イ人「いやいやいや、あれは脱ぐと凄いんだぜ!」
筆者「なんだ、お前結婚してるのか?」
不良イ人「いや、してないよ。ガールフレンドが3人いる」
筆者「お前等って婚前交渉はタブーなんじゃなかったの?3人と結婚すんの?」
不良イ人「NO PROBLEMだぜ〜、結婚なんてしないぜ〜」
筆者「あっそ、まあ、GOOD LUCKな。バイバイ〜。」

イランも随分変ってきたようですねぇ。男女交際において一夫多妻の文化は残ってるみたいですが。いや、単純に三又してるだけかな?

 この不良イラン人、英語喋れるくらいですから、結構良いとこのボンボンでしょう。不良と言っても、態度がヤンキーなだけで、害は無かったですし。鎖を首に巻いてるような時代錯誤ヤンキーがイランには多いです。いや、イランの最先端なのかな?

2006_09_14_馬車
 馬車なんかも走ってます。絶好のデートスポットでしょうね。綺麗です。特に夜。

2006_09_14_水辺の母娘
 ピクニックにも最適です。

2006_09_13_水遊び
 君たち凄いところで遊んでるよね。

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ここにワシの友達がいるんだ
2006_09_10_墓地爺ちゃん
 イラン・イラク戦争の殉教者墓地です。迷子の筆者を助けてくれた爺ちゃんに連れて来られました。ガズヴィーンと言う街です。
 モスクの裏に割とひっそりとありました。一つ一つの墓に顔写真があり、戦死者の生前の笑顔が胸に刺さります。

 爺ちゃんの戦友はとても若かったです。いや、当時は爺ちゃんも若かったんですね。死者の時間は進まないんですね。

 爺ちゃんの視線が遠すぎて痛いです。

2006_09_10_墓地正面
 ここは兵士のお墓で、モスクの中には偉そうな将軍や指導者の墓がありました。靖国神社のイラン版でしょうか。イラン・イラク戦争は結局どっちが負けたのかよくわかんないので戦犯も何も無いようです。基本的に戦犯は敗戦国がないと存在しない不思議な存在です。イラン・イラク戦争の内実は近代戦争のご多分に漏れず大量虐殺合戦らしいので、国際法を破った奴は双方無数にいたはずですが。

 お爺ちゃんにとっては戦友に会える場所です。ちょこちょこ来てる雰囲気でした。

2006_09_10_モスク内の墓
 これはモスク内に埋葬された階級が高かったんじゃないかと思われる方々です。中には少年の写真もあったのですが、他に生前の写真が無かったのかもしれません。ペルシャ語読めないので不明です。本当は撮影禁止っぽいのですが、爺ちゃんが「未だ、撮れ!」と仕草を。話のわかる爺ちゃんでした。

 開戦直後のイラン軍は革命直後で指揮系統は滅茶苦茶、戦略も戦術も作戦も無しのノープランアタックを繰り返し、戦力も殆どマンパワーに頼らざるを得ず、兵隊はボロッボロボロッボロ死んでいきました。兵隊と言っても、そこらへんの兄ちゃんやおっちゃんが銃を持っただけと言う状態も多かったようです。



エマームザーディエ・ホセイン
2006_09_10_入り口
 これが戦没者墓地にもなっているモスク、エマームザーディエ・ホセインです。元々ホセインさんのお墓です。中々綺麗なモスクで、本殿内部は前面鏡張りで輝いてました。撮影出来ませんでしたが。

2006_09_10_ホセイン本殿
 これが本殿です。入っていいのかなと思っていたら、上記の爺ちゃんが連れて入ってくれました。しかも靴預け代おごってくれました。入場の際の一礼の仕方なんかも教えてくれました。ドアに口付けとかは遠慮しときましたが。

2006_09_10_足洗い場
 ムスリムはお祈りの前に足を洗います。なので足洗い場が大抵あります。街中だと公衆便所の洗面台で足を洗ってます・・・。

 爺ちゃんはとても優しく、茶飲むか?飯食うか?とペルシャ語で言ってきます。80%以上理解できないのですがジェスチャーで。まるで孫になった気分です。


・旅の浅知恵 イラン編 ものを聞くならお爺ちゃん。
 イラン人の戦争を経験したであろう世代はびっくりするほどに優しいです。上述の爺ちゃんに限りません。しかし、現在の若者はどうしようも無い奴が10人中9人くらいいます。
 10人中1人のまともな若者に「なんでお前はジェントルなのにあいつ等あんなに馬鹿なんだ?」と尋ねたら
「They are not educated...」なんだそうです。旅に出て教養・教育の重要性をヒシヒシと感じる限りです。

2006_09_10_好青年24歳
バスの中であほな若いイラン人3人から筆者を守ってくれたマトモなイラン人24歳、テヘランのインターネットプロバイダー会社勤務。28歳までに結婚したいそうです。片手にサンマイクロのネットワーク関係の教科書持ってました。ペルシア語版でした。
 
 しかし馬鹿な方の若者達も悪意や害意があると言うより、構って欲しいだけの奴が多いです。バスなんかに乗ってると、ちょっかいを出しまくって来た挙句に、「ここがお前の降りるバス停だよ〜ん、うへへへへ」と教えてくれたりするので難しいです。

2006_09_10_門
 これはまともなイラン人若者24歳独身上述が連れて行ってくれたテヘラーネ・ガディーム門です。中々良い味出してます。


マスジェデ・ジャーメ
2006_09_10_マスジェで本殿
 これは自力で辿り着いたマスジェデ・ジャーメです。金曜寺院と言う意味です。でかすぎてファインダーに入りませんでした。
 
2006_09_10_補修中のモスク
 90度右を向くと補修中の部分が。中庭を囲むようにマスクが建ってます。地震でもあったのか、全体的にガイドブックの写真より明らかにボロボロになってました。

2006_09_10_図書館もすく全景
 全体はこんな感じです。右の建物は図書館になってました。青年が読書を中断してやってきました。何を読んでるんでしょうね。コーランでしょうか??

2006_09_10_読書青年
 青年が読んでいたのは勿論コーランではありません。日本でもHITしたHOW TO本です。ビジネスの啓蒙書でしたっけ?読んでないので解りませんが、イランも本当に変っていくのだろうなぁ、と思いました。

 青年の表情がいいですね。「こんなの読んじゃったよ、エヘ。」って感じです。ちなみに、表題以外はペルシャ語でした。彼を含めイラン人は殆ど英語出来ません。

2006_09_10_モスク天井
 筆者がイラン建築で特にすきなのが天井です。見てください、この複雑な作り。なんか物凄く綺麗じゃないですか?

テヘランの夜
 ガズヴィーンに日帰りだったのですが、テヘランに帰ったら夜でした。テヘランは治安がそんな良くなく、特に筆者が泊まるような宿がある界隈はどの国でも大抵治安が悪いダウンタウンなので、ちょっと不安でした。

2006_09_10_シンボルタワー
 筆者のBLOGに夜景が少ないのはビビッてホテルに引き篭もってるからなんですが、折角なので夜景撮りました。これはテヘランのシンボルタワー「アーサーディー・タワー」です。形がイラン!って感じですね。変な形してます。東京タワーより個性的で好きですが。

2006_09_10_夜景
 テヘランの夜景は面白いです。他の国では見たことも無いようなセンスの電飾が祭りでもないのに街中を飾ってます。街灯が赤やオレンジ、水色、緑、黄色、ピンクなどとけばけばしてます。しかも殆どネオン管じゃなく、電球で何処か暖かい光り方なので本当に不思議な雰囲気です。
 まあ、この写真じゃちょっと解りませんが。

2006_09_10_電飾
ちょうどこんな感じのが街中にかかってました。これはモスクの中ですが。



渋滞が酷いのでホテルに帰るのが深夜になりそうでした。バスもタクシーも立ち往生。
やばいなーと思ってたらバイクに跨ったおじちゃんが登場。
おっちゃん「10000リラでホテルまで送ってやる」
筆者「5000なら乗る」
おっちゃん「じゃあ9000!」
筆者「6000!!嫌ならあっち行け」
ちなみに1ドルが約9000リラなので、6000リラは約80円くらいでしょうか。

おっちゃんは一回どっかに行きましたが直ぐに帰ってきて「よし、乗れ!」と。

この旅で一番スリリングな20分間を過ごしつつ、ホテルに到着しました。
二度と乗らネ。

以前のBLOGにも書きましたが、奴等は歩道も走れば逆走もします。早いのなんのって、そりゃぁ、もう。車の間をスイスイ〜のレベルじゃないですからね。。これじゃ、俺も轢かれるよ、と思いました。

ウィーンで家主に乗せられた「時々事故死が起きる遊園地」の殺人アトラクションより怖かったです。


さっき、ネットカフェ来る途中にバイクが車に吹き飛ばされる瞬間を目撃しました。
二人乗りでタンデムにいた女性は暫く動きませんでしたが、後で携帯電話で喋ってました。
イラン人も慣れた物で、周囲の人間がわらわら集まり一瞬で人垣を形成、車の流れを止めます。
被害者が女性だったので女性の第三者が介抱に、バイクの運転手は自力でほいほい歩いてました。
散乱したバイクの破片は物の数秒で片付けられ、バイクも道の脇へ。

はねられた女性は暫く寝てましたが、鼻血くらいのようでした。

ここ五日で3件の事故を目撃し、1回轢かれた筆者でした。
イラン人は運転免許なんて普通持ってないそうです。

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 190cmは人類未踏の地、イランに下り立った…。
こんな事書くと馬鹿にし過ぎですが、一般的な日本人のイラン観は結構これに近いんじゃないでしょうか。
 首都テヘランには地下鉄だってあるんですよ。この国のどこかでは重水炉型原発だってせっせと作ってますし…。

 ちなみにイラン人は中華思想の塊で東洋人全般を蔑みまくっています。白人国家にいた時よりもヒシヒシと蔑視されます。特に若造に。

テヘランのメトロ!
2006_09_08_改札口
 見よ!この近代的な設備!綺麗です。歩いてるのがビジネスマンだったらここがイランかどうかわからないくらいですね。
 先進国程地下鉄がボロく汚いのは、作ったのが早いからなんでしょうね。
筆者が帰国する頃には新宿駅の改修終ってるといいのですが・・・。

2006_09_08_プラズマディスプレイ
 駅構内にはプラズマビジョンが沢山ありました。MTVのイラン版みたいなを流してましたね。ノリノリです。結構西欧文化も受け入れてるようです。西欧であって、欧米で無い。

2006_09_08_スイカ
 親切な駅員さんがイラン版SUICAを自慢してくれました。いや、それ日本の技術だから…。しかしまだ利用客には普及してないようでした。チリでもSUICAを見かけましたが、結構どこも導入してるんですね。

2006_09_08_改札とおる人
 皆さんもっぱら切符で改札してます。初乗り80円くらいっすかね。イランは現在文明開化中らしく、駅員が改札機の使い方知らない人に教えてました。たまに居ます、知らない人、不慣れな人。でもメトロ乗るんですね。

2006_09_08_エスカレーター
 散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする♪ イラン政府はまだブルカ着てる女性にキャミソール着ろとは言わないようです。

 文明開化、その過渡期だからこそと言う光景が『エスカレーターに乗るのが怖いイラン人』でしょう。噴出しそうになりましたが、エスカレーターの前で立ち止まってしまい、タイミングを見計らって飛び乗ります。そして手すりにしがみ付きます。いや、ご苦労さん。降りる時は迫ってくるのでもっと大変です。勿論、大渋滞になります。

 怖がるのは特に女性に多いですね。というか女性ばっかです。野郎は駆け上ります。イランでの女性の扱いが変って来て、外出の機会が多くなったのかもしれません。でも電車の中は男ばっかし・・・。ムサイ。

 お婆ちゃんとか、エスカレーター使わないで、老体に鞭打って階段登ってました。席を譲ると言う習慣も無いようでした。

2006_09_08_ホーム2
 これがホームです。メトロと言いますか、電車の駅の作りは何処も一緒ですね。ロンドンのメトロは丸くてチューブとか呼ばれてましたが、流石初乗り600円ってだけはあります。狭かったです。

2006_09_08_メトロ
 これが電車です。中々来ません。本数少なそうです。だからこそTVが沢山あったのかもしれません。イラン人の若者は結構ヤンキーが多く性質が悪いので暇になるときっと悪さします。

 地下鉄ですが、郊外に出ると地表に出ます。NYとかメキシコシティもそうでしたね。アントワープはその逆で路面電車を地下に入れてましたね。

2006_09_08_路線図
 現在3路線が開通してるようです。東京の絡んだコイルみたいな路線図と比べるとあっさりしてます。外国人の筆者にも楽勝で使いこなせます。東京は外国人には難しいでしょうね。都民でもよくわかってませんからね。


イランの王朝
 イラン人はアラブ人じゃないんですよ。彼等はペルシャ人です。なのでアラビア語と同じ文字使ってますが、ペルシャ語です。
 昔々、アケメネス朝ペルシャの王キュロスさんがバビロンで奴隷にされてたユダヤ人を助けてあげたのですが、今じゃイスラエルとガチで喧嘩してます。しかも負けそうです。歴史って面白いですね。ちなみに当時はイスラム教は存在しませんでした。

2006_09_08_宮殿1
 さて、ユダヤ人解放した王朝からは程遠いですが、イラン最後の王朝の一個手前の王朝の宮殿がこれです。ガージャール朝のゴレスターン宮殿と申します。

 まあ、とにかくイランには長い長い歴史と沢山の王朝があったわけです。長い歴史は彼等の誇りです。
 イラン最後の王朝をバフラビュー朝と言います。この王朝の失敗は、第二次大戦後、アメリカとつるんで貧富の差が拡大しまくってもいいやと言うポリシーの下で工業化政策を行った事です。結果貧困層がどんどん増えて貧困度も増し、農村は荒廃しました。ついに国民が切れてイスラム革命に相成りました。

 「格差社会が悪いとは思わない」とわが国の首相も言ってたそうですが、革命まで行かずとも、治安は必ず悪化します。治安の悪い社会って糞ですよ。
 総中流社会と言われた日本もここ10年で高貧困率国家WORST10にランクインしました。

2006_09_08_宮殿2
 装飾がとっても綺麗ですね。タイルがぎっしりです。イラン!って感じですね。ちなみにイランとはアーリヤ人の国と言う意味らしいです。


エマーム・ホメイニー
 イスラム革命の指導者と言われる方がエマーム・ホメイニーさんです。ホメイン村出身のエマーム様です。エマームと言うのはイスラム教シーア派における聖人を指す言葉みたいなもんです。詳しく知りたい人は『12エマーム派』とかで検索してみてください。

2006_09_08_霊廟正面
 これはエマーム・ホメイニーさんのお墓です。でかいです。現在なおも増築中。本当に大きいです。建造物もこれだけではないです。ある日本人旅行者は「ディズニーランドみたいだ」と言ってました。言いえて妙です。来ているイラン人も余り神妙には見えません。詳細は後ほど。

2006_09_08_霊廟近景
 この向こうにホメイニさんのご遺体があります。
 ホメイニーさんの葬式には1000万人の国民が押し寄せ涙したそうです。国民殺戮合戦だったイラン・イラク戦争のやっとの終結直後に国父を失った民衆の悲しみは想像も及びません。心の支えだったのでしょう。
 
2006_09_08_霊廟遠景
 革命政権樹立後、つまりホメイニーさんが国家元首になった直後、イラクが難癖付けてきてイラン・イラク戦争勃発。泥沼の殺戮戦になりました。周囲のイスラム王朝国家はイスラム革命拡大を恐れイラクを支援。イラン革命政府を潰しにかかってきたわけです。未だにクウェートやサウジ、ヨルダン等は名実共に王朝ですからねぇ。
 この時シリアがイラン側につき、革命政府崩壊は免れました。シリアとイランは今でも仲良しです。シリア人方がより素朴な気がしますが。

2006_09_08_霊廟鉄骨沢山
 至るところが増築中で鉄骨むき出しです。

 現在アメリカに裁かれているイラクのフセイン大統領は、この戦争中、イランに支援され独立運動を激化したイラク領内のクルド人に化学兵器を使用し虐殺したそうです。
 更にイラクはこの戦争でクウェートに借金をし過ぎてしまいました。対イラン戦で膨張し過ぎた軍隊を持て余してもいました。それを一石二鳥で解決する為と言うのがクウェート侵攻の動機になったんだとか。債権国を潰せば借金もチャラ☆軍隊のお仕事も出来る☆滅茶苦茶ですね。
 日本もあんまし他国の国債引き受けていると危ないかもしれません。特にアメリカ国債の保有率は凄いのでは?そもそもお金返してくれるのでしょうかね。


さて、エマーム・ホメイニーさんのお墓ですが、ディズニーランドと言うより筆者の感想は巨大ショッピングモールです。郊外型の。
2006_09_08_エスカレーターホール
 これは霊廟内のエスカレーターです。建造中なので動いていませんが。墓の中にエスカレーターっすよ。天窓、吹き抜け構造…。

2006_09_08_ファーストフード
 完成している部分にはテナントが入ってます。ファーストフードや玩具屋、お菓子屋、本屋、文具屋、電化製品屋、服屋、八百屋…。勝手に通路に商品並べている奴もいます。工事中のところも、商店が入るんだろうなぁ、と言うショーウィンドーみたいなのが多いです。

2006_09_08_ジュース屋
 かなり充実のショッピングモールっぷりです。イランの商業活動の中心地になるのではないでしょうか?都心から地下鉄で20分、乗り換えなし。駐車場も超広大です。地方からバスで乗り付けてるイラン人もいました。ここ一応、お墓です。聖地です。

2006_09_08_スーパー
 なんとスーパーマーケットまで入ってます。イランでは中々お目にかかれませんが中々の品揃えです。筆者はアイスクリームを買っちゃいました。なんとレジのお姉ちゃんが微笑んでくれましたよ!やほーぅ。

2006_09_08_遊び場
 週末の家族連れ、ファミリーカーに乗ってやって来ました。
とりあえず、そそくさと国父にお祈りを済ませ、パパとママは買い物に。子供は買い物の邪魔です。さてどうしましょう?

2006_09_08_アスレチック
 なんと、子供の遊び場まで用意されていました。びっくりです。室内アスレチックやエアーホッケー台、サッカーゲーム台、デパートの屋上にあるような木馬等等

2006_09_08_ゲーセン台
 恐らくゲーセンも作る勢いですね。既に何台かありました。変な日本語がうけます。ここ、一応国父のお墓です。

 イランは確実に変って行くのでしょう。今見れて良かったのかもしれません。

 伊勢丹よ!三越よ!高島屋よ!エマーム・ホメイニーよぉおお!と地方から買出しに来るテンションでイラン人はホメイニーさんの御墓に来るようになるのかも知れません。

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 こんにちは!イスラミック・レボリューションの激震地、イランの首都テヘランにてバイクに轢き逃げされました。さすがテヘラン、痛い…。
 世界一周してると色々な事が起きますね。あ、心配しないで下さい。軽傷です。中高時代からの大親友、鋼のI村君の蹴りの方が痛いくらいです。

 ヨーロッパ以降、信号はあって無きの如く、自分の身は自分で守る世界なのですが、イランはヤバイです。バイクが逆走してきます。筆者は地元民並に泳ぐように道路を横断できるのですが(と言うかやらないと旅行なんて出来ないんですが)、いきなり来るはずのない逆走バイクにはねられました。そっちまで見てらんないよぅ…。

 ちなみに奴等は歩道も走ります。要注意です。

イランのニオイは懐かしき男子校のニオイがします。気をつけてください。


ダマスカスの色々
 え、何故またシリア首都ダマスカスなのか?ですか。当然、整理し終わってない写真があったからです。少数ですが。興味深いものから行きましょう。
2006_08_30_ヒズボラリーダー
 これはそこら中に貼ってあったヒズボラ指導者のポスターです。教祖様って感じの顔ですね。自爆テロを賞賛しているとの事です。あんたが率先してやれ、あんたが。その黒縁眼鏡は何だ?
 シリアに隠れてるようですしね・・・。

2006_08_30_ヒズボラ沢山
 いやぁ、沢山あります。いろいろなポーズがありますが、イマイチですね。やっぱり革命の戦士はアルネスト・チェ・ゲバラくらいイケメンじゃないと務まりませんね!ゲバラTシャツはシリアでも売ってました。

 俺イランのNETでこんな事書いてて大丈夫かな…。

2006_08_30_大統領
 彼はシリアの大統領様です。大統領と言っていますが世襲制で、お父さんが前大統領。次男です。長男は交通事故で死にました。暗殺説もあります。結果、次男が歯医者になるのを止めて権力の座に。ちょび髭がヒトラーを意識してる気がします。金日成や金正日並みにそこら中に肖像があります。


ダマスカスの人々
シリア人は中東で一番良い人たちです。信号守るし、泥棒しないし、嘘つかない。
意外ですが、シリア人と同じくらい優秀で真面目な国民性だったのがイラク人だそうです。中東地域で唯一時間厳守の習慣がある国民だったそうで。今後の経済復興が期待出来ますね。内戦状態らしいですけど…。

2006_08_30_ヒズボラ笑顔
 このしぶがき隊みたいな少年ですが、ハチマキもTシャツもヒズボラブランドと言う過激派です。ナイススマイルde賞をあげたいと思います。
 しかし、子供たちがいつも笑顔で写ってくれるのは明らかに筆者を笑っているんですよね。

2006_08_30_金メダル
 金メダル少年を発見!売り物を首にかけていたようです。ちょっと照れくさそうにしていました。可愛いですね。

2006_08_30_嫌な顔少年
 なんかチビ丸子ちゃんにこういうキャラいませんでしたっけ?筆者のガン垂れるとは良い度胸です。シャッター切ってやる!えい!『パシャ!』
 筆者はこの子からアラビア語の不思議な民謡の海賊版を買ったのですが、かなりのデータが破損してました…。

2006_08_30_フランケンシュタイン
 手前の男の悪人顔、奥の男は身長2m30cm程。怪しい服装。どこのマフィアでしょうね。でも、群がるシリア人に快く写真を撮られる良い人たちなんです、実は。

2006_08_30_シリア人ピース
 上のフランケンシュタインに群がるシリア人は当然BiG東洋人190cmにも群がりました。ノリノリでしたね。勿論、俺にも撮らせろとシャッターの応酬が。

林檎ジュースの怪
 旧市街奥地のキリスト教徒地区で林檎ジュースを飲んで暫くして、意識が微妙に混濁してきました。
 え?睡眠薬でも盛られたか?と思ったのですが、そこそこ程度の意識は保てるのです。歩けるし。胃袋がひっくり返りましたが。

2006_08_30_旧市街
 腐ってたのかな、とも思いました。しかしその場合普通下痢です。後を付けられてる訳でもなく、とにかく帰る事にしました。

 途中屋根に乗ってる少年が空へ羽ばたくような幻覚が見えました。
2006_08_30_屋根の上の少年
冗談です。

 気が付いたらホテルのレセプションのソファーで寝てました。

今考えると、痛んだジュース、日射病、光化学スモッグの合わせ技だったのかもしれません。最近バンダナしてないですしね。

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 こんにちは!ダマスカスより60時間、トランスアジアエクスプレスに揺られてイランはテヘランにいます。途中乗り換え列車に置いていかれ、TAXIに「あの列車を追え!!」とハリウッド紛いなセリフを吐きました、190cmです。勿論、車掌の怠慢です。TAXI代返せ!

 飛行機を使わないだけでこんなに苦労話のネタに恵まれるっていいですね。飛行機は96時間後まで満席でした。

 そんなわけでトルコのクルド人地帯も無事抜けてイランにいます。クルド人の青年達は素直で良い子でした。筆者にはトルコ人と区別出来ません。トルコ人よりスマートな気もしますけどね。TAXIで先回りしすぎて駅でボケーっと列車を待つ筆者に絡んでくれました。夜中の10時頃に。アジアはバスの方が列車より早い世界なので、TAXIで余裕で追い越せます。しかし次の駅まで150kmとかあるんでTAXI代が…。

 ここ最近、写真のUPが滞っていました。駄文ばかりUPして。実は停戦直後のベイルートのお忍び旅行してきて、ごにょごにょしていて遅れました。勿論PCで感電していたのもあります。夏休みしていたわけではありません。
 

ベイルート
2006_08_24_ベイルート無傷景
 そういうわけでベイルートです。良い写真は某新聞社様に投稿し、暫くBLOGにUP出来ないのですが、乞うご期待の方向でお願いします。
 この写真はベイルートの街です。意外と平然としてますよね。爆撃されていたなんて嘘のようです。あっさりシリアから入国できるくらいです。

 あれから日が経っているのでそこそこいつも通りの軽い口調で書けますが、当時は結構気分が重かった190cmです。

ハート・ハーレック地区

 いざ、写真を見返すと、やっぱり軽口も叩けなくなってしまいました。ハート・ハーレック地区と言うのは、ベイルート南部の一地区です。ここにはヒズボラの拠点があったとされます。そして、イスラエルの集中空爆を受け灰燼に帰しました。

 ここにも空爆前には冒頭の写真と同じような光景が広がっていたと思うんですよ。

2006_08_24_瓦礫の山
 瓦礫の山です。埋まっている方のご冥福をお祈りいたします。

2006_08_24_半分崩れたビルの写真
 半分だけ残っているビルの写真です。時々上から物が降ってくるので要注意です。

2006_08_24_日産
 これは日産の自動車です。ベコベコになってます。日産だとわかるのは、日産のマークがあったからです。

2006_08_24_廃墟
 以前のBLOGでクネイトラ廃墟を掲載しました。あれはもう30年ほど前に爆撃され出来た廃墟で、意図的に保存されているものです。
 こちらは、僅か10日前まで爆撃が行われていた場所です。
 空気が全く違いました。申し訳ありませんが、文章化が難しい差異です。

2006_08_24_崩れかけビル
 普段から逮捕されたりしている筆者ですが、なんとGPS使ってたら連行されてしまいました。
 尋問途中からはとても高待遇になり、昼飯、ジュース付き歓迎(?)を受け、あっさり解放されました。最後にはウェルカムレバノンと言っていました。
 が、190cmを逮捕した場所には送り返してくれず、自力で帰還しました・・・。

 レバノンを出ようと思いました。

2006_08_24_屋根が崩れたびる
 頑丈なはずの鉄筋コンクリートもこの通りです。

しかし、現代戦争の怪現象と言いましょうか、爆撃された地区から100mも離れれば、そこには営業中にスーパーマーケットがあるのです。。。

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ダマスカス
2006_08_20_ウマイヤドモスクと空
 ダマスカスです。前回はそそくさとヨルダンに抜けたので写真無しでしたが、撮ってきました。そこら中に警官がいて政府系建造物があるので非常に撮影しにくい街なんですが、伊達に旧約聖書の時代から存在してません。凄いですよ。

2006_08_20_ウマイヤドモスク外壁
 冒頭の写真とこの写真は世界最古のモスク、ウマイヤドモスクです。冒頭は中庭から、これは外壁を撮りました。

 元々教会だったのをモスクにしちゃいました。しかし教会以前は土着信仰の聖地だったようです。何千年も現役の信仰の場です。磁場でも発生してるのでしょうかね。不思議です。

2006_08_20_ウマイヤドモスク塔と列柱
 世界最古と言う割には非常に綺麗です。管理や手入れが行き届いているのでしょう。異教徒は入り口を分けられて、チケット制でしたがチケット売りがおらず、無料で入れました。オープンです。

2006_08_20_少年二人も好く
 このモスクにはイラン等やアラビア半島からの巡礼者が来るほどの聖地です。しかし地元の子供たちが遊びまわっています。朗らかな雰囲気で開放的です。

 しかし、この子達の足の下には何千年も昔の遺跡が眠っていると考えられています。シリア人はそういう歴史の上で文字通り暮らしているのです。

2006_08_20_本殿正面
 これはウマイヤドモスクの本殿です。角ばったデザインですね。ダマスカスに限らず、シリアには沢山遺跡が埋まっています。しかしその上に住んでる人がいたり、現役のモスクがあったりして発掘が出来ないそうです。凄いですね。


ウマイヤドモスク

2006_08_20_祭壇正面
 “撮るよ、撮るよ、今から撮るよ!!撮ってもいいんだね??チミたち!?”と心の中で叫びながら撮りました。カメラを構えて周りにアピールしてから撮影。撮った後に殴られてカメラ壊されたんじゃ笑えませんからね。でも案外普通でした。

2006_08_20_モスク内部列柱
 元教会と言うのも何と無くわかりますね。列柱なんかはローマ様式に見えなくもないです。中々綺麗です。

2006_08_20_モスク内部俯瞰
 しかしこのモスク、かなり大きいです。立派です。さすが世界最古。ちなみにこのモスクには聖ヨハネの首が納められているそうです。


ダマスカスの街
2006_08_20_ヒジャーズ駅
 これはダマスカスの中心にあるヒジャーズ駅です。これだけ見ると旧社会主義の東欧諸国に見えなくもないですね。シリアは社会主義ですからね。

 シリアが戦争に使った兵器は大体旧ソ連製です。軍人が持ってるのはみなカラシニコフ。安価で単純でそこそこ性能が良いので第三世界に数多く出回ってる突撃銃です。各地のゲリラなんかが持ってるのも大抵これです。
 度々の中東戦争、イスラエルはアメリカ製、アラブ諸国は旧ソ連製の兵器で戦っていたようです。

2006_08_20_スーク
 これはここで買えないものは無いと言われるスーク・ハミディエです。スークとは市と言った意味です。雑踏です。筆者はここでヒズボラのTシャツと旗を買いました。イラン大使館に着て行ったら高感度UPしました☆

2006_08_20_スーク終点の遺跡
 これはそのスークの終点です。ご覧下さい、遺跡がそのまま街に溶け込んでます。わかるでしょうか?ローマ様式の門と列柱があります。恐らく、このスークは昔はずっと続くこの列柱に囲まれてたんじゃないでしょうか?今では丸天井のアーケード街って感じですが、この天井も築何百年とかだと思われます。

ダマスカスっ子
2006_08_20_シリアン少女
 シリア人少女。何か撮っても良さ気なので撮りました。目が青く金髪です。そうなんです、シリア人は滅茶苦茶西洋と東洋の混血が激しく、そして皆美人です。男も太ってる人は徴兵のせいか中年以外皆無でスタイルいいです。小さい子は洋服着てたりします。稀に大人でも洋服いますが。

2006_08_20_少年アップ
 いやぁ、お目目がくりくりしてますね。めんこいめんこい。

2006_08_20_少年3人
 彼等はアラブの血が濃いようですね。陽気に大爆笑してくれました。

2006_08_20_ダンディシリア
 見よ、これがシリアのダンディズム!シリア人の典型的なおじさんです。シリア人は戦争を経験している世代が殆どなので、非常に優しいです。

2006_08_20_イタリア人シリア人
 この人がイタリアあたりにいてイタリア人だといってきたら筆者は疑わないでしょう。まあ、イタリアやスペインあたりは結構歴史的にアラブの血が入っているようですが。


2006_08_20_大統領
 これはシリアの大統領の写真です。独裁と言われますが、人気はありそうです。しかし、何と言うか、悪人顔ですよね。他の写真見つけ次第UPしますが、ヒットラーを意識したかのようなちょび髭生やしてるんですよね。イスラエル対策でしょうか…。



P・S
シリア人は綺麗ですよ。いや、本当に。
中間報告ではしませんでしたが、世界の3大美女大国を今考えて見ますと…

BEST3

1位 シリア人 超美女が多いです。細くて華奢な傾向が強いです。しかも慎ましく睦まじく奥ゆかしいと言う世界的に絶滅が危惧されているような人ばっかしです。東洋的倫理観をもった西洋人みたいな人が多いんですね。
 シリアの文化ってのは一昔前の日本に近いんじゃないんすかね?と勝手に思ってます。現代日本は西洋的倫理観に染まった東洋人ってとこでしょうか。
 しかし、シリア人女性の笑顔ってのは見た事がありません。勿論、喋った事も殆ど無いです。

同率1位 スペイン人 シリア人とは対極の美人です。チビでふくよかな傾向が強いですがコロコロしてて可愛いです。小動物みたいです。性格も正反対です。服の露出度が非常に高く、快活で明るく積極的で愛想がよく笑顔を振りまきます。時々スリをしたりする程です。スペイン人男性より逞しい気がします。

3位 ペルー人 スペイン人とケチュア族の混血が多いのですが、スペイン人より更にチビ化が進み、色が黒っぽくなります。必殺技はハニカミ笑いです。去年の今頃訪ねたイキトスのホテルの受付嬢のハニカミ笑いの可愛さっぷりは未だに覚えてます。素朴度NO1です。

親父臭いっすね、自分。読者が減りませんように…。



WORST3独断と偏見です。

1位 エジプト人 いや、まあ、価値観の相違でしょうね。日本人だって、美的感覚が激しく変ってますからね。昔のドラマのヒロインとか見ると噴出しちゃいますからねー。外見的特長としては目が飛び出ていて、顔が膨らんでいて、頭が大きく、体がぶくぶくしている印象があります。勿論全てではありません。エジプト人といっても、そういう民族がいるわけじゃないですからね。

2位 ボリビア人 内陸部にある為スペイン人との混血が進んでおらず、純血インディヘナが多いです。純血インディヘナは本当にちっちゃいです。民族衣装の構造のせいでしょうけど、外見上、縦横比が1:1です。いや、本当に。もしかしたら、この比率がインディヘナの「美」なのかもしれません。
 さらにボリビアの乾燥した大地と標高がもたらす紫外線のせいで直ぐに皺くちゃになるとボリビアの海外青年協力隊経験者様から聞きました。

3位 アメリカ人 まあ、移民の国なんで何とも言えないんですが、太りすぎです。滞在していたNYのニューヨーカーはまだまし、と聞いたので、田舎に行くとどうなっちゃうんでしょう。
 しかし、昔は、割と何処の文明でも、太っている事は豊穣を証しとして尊ばれていました。インド人の女性は家の富を象徴する為に結婚後には太る事が求められるそうです。


番外
 前評判が最高だった北欧美人ですが、彼等は北方ゲルマン人と呼ばれるだけあって、全体的にゴツクて角ばってます。さすが狩猟民族。強そうでした。男性は女の子にもてそうです。

 世界各地で見かける中国華僑は皆美人です。というか、東洋人ってだけで心が和んでるので客観的に見ちゃいないでしょうけどね。
 そういう意味じゃ、日本人が最高です。大和撫子〜。あんましアジアンテイストだとかパリコレだとか外国かぶれしない方が魅力が引き立つんじゃないでしょうか?余計なお世話ですかね。

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クネイトラ、廃墟の街
2006_08_18_クネイトラの道
 190cmです。前回キナ臭いので遠慮したイスラエルxシリア国境紛争地帯ゴラン高原にありますクネイトラにやって参りました。この街、廃墟です。

2006_08_18_2階が崩れた建物
 1967年第三次中東戦争。イスラエルの突然の奇襲攻撃から始まり僅か6日で不意を突かれたアラブ諸国はボロ負け。あっと言う間に400機以上の戦闘機を潰され制空権を失い、敗走。この戦争でシリアは国土随一の穀倉地帯ゴラン高原を占領されました。勝てば官軍、奇襲も作戦。世の常です。しかしこの時はまだクネイトラは廃墟になりませんでした。

2006_08_18_露出階段
 その後1973年に今度はラマダン中にも関わらず、アラブ諸国がユダヤの贖罪日を狙い開戦。信心深いユダヤ人は全力で安息日を休む習慣があるので狼狽、前回エジプトから奪ったシナイ半島を奪回されました。シリアも善戦しゴラン高原からイスラエルを追い出しました。
 しかし結局後半戦になると、シリア軍は敗走、エジプト軍も敗走。ゴラン高原もシナイ半島もまた取られました。

2006_08_18_天井が落ちた建物1
 そんな74年、イスラエル軍がゴラン高原のクネイトラから撤退する事になった時悲劇が訪れます。何を考えたか、残しっ屁のように爆撃して行ったんですね。街は灰塵に帰しました。

2006_08_18_天井が落ちた建物2
 そんなわけで32年前に出来た廃墟がここです。シリアの大統領がイスラエルの残虐行為の証拠として保存されてます。保存と言うか、復興してないだけかもしれません。こっからさらに西に100kmもいけば、4日前までイスラエルがせっせと作った新しい廃墟が山ほどあるわけです。

住人
2006_08_18_爺ちゃんアップb
 なんと住民がいました。生活臭だしまくってます。お爺ちゃん。一人です。他にも人はいましたが軍人です。
 このお爺ちゃんの心境やドラマは想像するだけ悲しいですね。

2006_08_18_爺ちゃん正面
 シーシャと言う水煙草を吸う機材を洗っています。

2006_08_18_爺ちゃんの家正面
 全壊は免れたお爺ちゃんの家です。全壊して無くても、結構今にも崩れそうです。ぼろぼろ。

2006_08_18_爺ちゃんの家横
 お爺ちゃんの家の横側です。奥は崩れ落ちてなくなってます。

 ちなみに写りこんでいるのはガイド君です。ここに入るにはシリアの内務省から許可証をとって、公認ガイドと一緒に周る必要があります。一見するとただのオジサンですが、軍人です。英語が出来ないので筆者に「ここは撮影するな」「ここは是非撮れ」と仕草で語りかけてきました。

教会とモスク
2006_08_18_教会
 これは教会の写真。クネイトラではクリスチャンもムスリムも上手く共存していたんですね。そもそもエルサレムでは十字軍が異教徒皆殺しなんかをやった以外はイスラエル建国まで割と皆仲良く暮らしてたようです。

 つまり戦争の原因を宗教の対立だけで片付けるのはナンセンスなわけです。じゃあ戦争の原因は一体全体何なんでしょうね!?

2006_08_18_モスク正面
 こっちはモスクの写真です。教会もモスクも正面から見ると無事に見えますが、やっぱりぼろぼろです。

2006_08_18_モスク内部
 これはモスクの内部です。青天井になっちゃてます。天井が落ちたんですね。二階建てだったようなので、2階部分の床も半分落ちてました。

2006_08_18_教会内部
 こっちは教会の中です。天井が落ちるまではいってませんが、床は瓦礫の山でした。教会の隣の元々は何かの付属施設だったと思われるものはペシャンコで元がナンなのか解らなくなってました。

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エジプト軍
2006_08_12_ミサイル
 190cmです。まだカイロにいます。早く移動しないとエジプト人を殴りそうです。特にTAXIの運ちゃん。まあ言い過ぎですね!インドビザも取れました。エルサレム行き直行バスに乗りたかったのですが、エジプトビザを日本のパスポートからアメリカのパスポートに移すのに10日かかると言われたので諦めました。日本のパスポートをイスラエル入国で持っていくとシリア、イラン、パキスタンに入国できなくなるようです。

 そうそう、米国籍のパスポートを持ってイミグレを歩いていたら突然お茶をぶっ掛けられました。反米感情のはけ口にされました…。

2006_08_12_自走砲
 これはカイロにある軍事博物館の展示物の写真です。歴代エジプト軍の兵器群です。自衛隊なんかと違い、何度も中東戦争やってる国なので、きっと実際に使われていた型の兵器になりますね。多分旧ソ連製です。

 男の子なら鉄砲や戦車に一度は憧れるものです。筆者も憧れました。しかし今は迷惑千番な事限りないですねぇ。

2006_08_12_戦車
 これは戦車です。
 何故か第一次中東戦争で建国したての小国イスラエルに、エジプト、ヨルダン、シリア、サウジ、イラク、イエメン、レバノンの7カ国が宣戦布告、集団リンチに処すはずが返り討ちにあいました。

2006_08_12_戦闘機
 変な話ですが、戦争と言う巨悪を成し遂げる為には、尊い自己犠牲の精神や鉄の信頼関係が当事者に必要なんでしょう。エジプト人皆にそれらが全く無いとは言いませんが、TAXIの運ちゃんや売店のオジサン、ラクダ引きを見てると無さそうです…。

2006_08_12_投石器
 これは投石器です。最近は使ってないようです。十字軍くらいの時代でしょうか。十字軍の時代では欧州なんぞより余程進んだ文明、科学力を持っていたらしいのですが、あんまりイスラム教徒皆で一致団結して戦う事は無く、英雄サラディンが現れるまで割と苦渋を味わったようです。

シタデル
2006_08_12_シタデル
 これはそのサラディンが対十字軍用に作った城砦シタデルです。サラディンの死後も政治の中心としてエジプトに君臨してきました。今はカイロ観光のハイライトになってます。セキュリティチェックは厳しいです。

2006_08_12_ムハンマドモスク正面
 これはムハンマド・アリ モスクです。シタデルの中にあります。ドーム状の屋根でお気づきの方もいるかもしれませんが、トルコのモスクを模倣したものです。イスタンブールの記事にある写真と比較していただくとそっくりなのが解るかも知れません。

2006_08_12_ホール
 これはその内部です。お祈りに来てる人は無く、全員観光客です。ゴロゴロくつろいでます。内部の装飾もイスタンブールのモスクそっくりです。南米の教会がスペインやローマの教会を模したのと同じような事なのでしょう。このモスクが作られた時、エジプトはオスマン朝の植民地でした。

2006_08_12_ムハンマドモスク横
 悲しいかな、結構良い建物なはずなんですが、いまいちしっくりきません。何故でしょう。

インナースィル・ムハンマドモスク
2006_08_12_インナースィル外観
 これはムハンマドアリモスクの直ぐ脇にあるインナースィル・ムハンマドモスクです。エジプト人は人も建物もとりあえずムハンマドと言う名前にするので大変わかりにくいです。そこら中ムハンマドだらけです。

2006_08_12_インナースィルムハンマ中庭
 中庭の写真です。綺麗ですね。こっちのモスクは観光客も少なく良い感じです。

2006_08_12_祭壇
 本当は撮っちゃいけない事が多いモスクの祭壇の写真です。祭壇と言うか壁です。この方向にメッカがあると言うあれです。観光地なんでお祈りに来てる人もいなく、すき放題撮れました。

2006_08_12_回廊
 日差しが中々良い感じに差し込みます。イスラム建築は開放的でいいですね。お祈りしてきました。


カイロタワー
2006_08_12_カイロタワー
 カイロタワーと言うナイル川の中洲にある塔です。1961年に建ったそうです。結構高いので見晴らしが良いです。1200円と入場料が高いので倦厭されてるようですが高いところが好きなので上りました。

2006_08_12_ナイル遠景
 霞んで見えるのは勿論大気汚染のせいです。世界屈指だと思われます。夕陽まで待ったのですが、霞みすぎて綺麗に撮れませんでした。

2006_08_12_ナイル夜景
 これはナイル川の夜景です。橋とか撮影しちゃいけないらしいですが撮りました。筆者の住んでいるあたりは官公庁区で警備が厳しいので夜も安全です。近所の繁華街などは人通りが夜の方が多い気がします。

2006_08_12_クルーズ
 クルーズしてますね。あんまり綺麗な河じゃないですが、楽しそうです。綺麗じゃない、と言うか、足を浸しただけで怖い寄生虫が皮膚から侵入してくる恐怖の河のようです。

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嗚呼、エジプシャン
2006_08_10_少年敬礼
 カイロにいます。パスポートをインド大使館に預けているので出れません。4日目の今日で終るはずが明々後日まで待てと…。7日くらいかかってる気がします…。インド大使館が“インド”の大使館って事を忘れてましたね!気長に気長に…。

2006_08_10_少年アップ1
 カイロは世界で最も先進的で美しく清潔な街です。空は高く空気はアルプス山脈の麓のように澄み渡り小鳥のさえずりが響き渡ります。そんな素晴しいカイロなので何日いても決して苦痛に感じることなどはありません。

2006_08_10_少年キす
 強いていうなら日差しがちょっぴり強いかな、と言ったくらいでしょうか。しかしそんな中でも少年達は元気にサッカーをしていました。少年らしい無邪気で屈託の無いエジプシャンの少年達は筆者の心を和ませてくれました。別れ際には何もねだることなくバイバイと手を振ってくれます。

2006_08_10_歩く少年
 平和そのもののカイロの街。心が和みます。少年が一人で古代の城壁の前を歩いていきます。太古と現代の精神が融合した町、それがカイロです。

2006_08_10_孫とおじさn
 カイロのイスラム地区にあるお土産に人々は皆優しく、キョロキョロしていると話しかけてきます。買う気がなくても決して邪険にはしません。御土産物屋とはいいつつ、彼等の生活の場でもあるので家族の団欒が垣間見れました。

カイロのモスク
2006_08_10_もすく改
 カイロのモスクです。撮影禁止なのですが、優しい優しいエジプシャンはバシバシ撮影させてくれます。なんていい国なんでしょう。決してお金を要求したりもしません。神様をこっそり撮影させて私服を肥やすなんて出来ませんよね!

2006_08_10_モスク内部
 無償の奉仕の精神に溢れたエジプト人は自分達の信仰を外国人にもしってっ貰う為に率先してモスクを案内してくれます。お礼を渡そうとしても断られます。神を売るような事になるのでしょう。

2006_08_10_モスク外観
これはまた別のモスクです。

2006_08_10_モスク2個目
 中に入ったのはちょうどお祈りが始まる時間だったので中庭までで遠慮して置きました。熱心な信者が非常に多いエジプシャンはお祈りの時間になると街から人が消えます。シーンと静寂の中、皆お祈りに励みます。

2006_08_10_モスク入り口
 入り口です。かっこいいですね。右の塔はミナレットと呼ばれるもので、お祈りを呼びかけるハザーンが流れます。相当ウルサイですが風物詩チックで悪くないです。イスラム教国にいる感じがします。

城壁と街
2006_08_10_城壁
 たしかサラディンと言う十字軍を破ったイスラムの英雄が建てた城壁です。エジプト、特にカイロの建造物は昔の物ほどクオリティーが高く、しっかり建っています。こんな古い建築を壊さず、それらに負けず劣らずの新しい、素晴しい現代文化を象徴するような建造物を立てまして行った街がカイロです。

2006_08_10_寄生都市1
 本当に同じ民族が作ったのか不思議に思ってしまう程ですが、しっかり融合しています。決してかつての栄光を讃えた古代都市に寄生しているようには見えません。

2006_08_10_寄生都市
 なんかアンバランスでいいですね。地震が起きたら新しい建物だけ崩れる、なんてことはきっと無いでしょう。

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ピラミッド!!
2006_08_08_屈折大(本物
 190cmです。お久しぶりです。お久しぶりです、なんて言う言葉は本来このBLOGにあってはならないのですが、やんごとならぬ事情で更新が滞ってしまいました。すみません。簡単に言うと食あたりとビザ集めです。簡潔ですね☆

2006_08_08_屈折大
 そんなわけで、インドとシリアと日本大使館&エジプトのイミグレ通いの合間を縫って行って来ましたピラミッド群!冒頭とこの写真は屈折ピラミッドと言う途中から角度が変っているピラミッドです。一番気に入りました。この写真は隣のピラミッドに登って撮りました。本当は登頂禁止なのですが警備兵がどうしてもと言うので登ってあげました。
 冒頭の写真のように雲がかかるなんて滅多に無いそうです。ラッキーです。

2006_08_08_踏み台ピラミッド
 こっちが筆者の撮影用踏み台となったピラミッドです。崩れているのは筆者が登ったからではありません。元々です。この辺のピラミッドは発展途上で、崩れたり、途中から角度を甘くして強度を上げたりと試行錯誤をしていた時代のものだとか。

2006_08_08_屈折遠景
 遠くから見るとこんな感じです。屈折っぷりがわかりやすいですね。一番気に入った理由はズバリその屈折っぷりです。と言うのは半分冗談です。砂漠の真ん中に綺麗な状態で残っているのと、観光客が来ないというところが良かった気がします。土産物売りやたかりもいません。似たような事をする警備はいますが。。。

紅のピラミッド
2006_08_08_紅のピラミッド
 勿論、まっすぐなピラミッドもあります。これは屈折ピラミッドからも見える位置に在る紅のピラミッド。材料の石が赤いんでそう呼ばれてます。規模は後述のクフ王のピラミッドなんかには負けますが保存状態は良好です。

2006_08_08_赤麓
 麓から見ると角度が非常に甘く見えます。なのでピラミッドは遠くから眺めるのが美しいです。近づかないと大きさを実感できませんが。
 さて、このピラミッドの目玉は内部です。入れるんです。

2006_08_08_紅の階段
 この130cm四方程度で角度45度の長い長い狭い臭い道を行くのです。軽く拷問でした。頭を打つ事数回、両脇に抱えたカメラとバックが190cmの体を更に大きくし、自分はモグラゴッコには向かないと確信させてくれました。

2006_08_08_赤の玄室
 さて、腰に来るので休み休み下る事数十分、やっと着きました、玄室です。写真では解りませんが、酷い臭いでした。軽く拷問です。コウモリか何かの糞が4000年くらいかけてじっくり熟成されたかのような香りです。
 しかも左下に見える空気入れ替えポンプも動いてないんですね。
 とにかくピラミッドの内部です。沸々と感じるピラミッドパワーは酸欠が感じさせるめまいに良く似ていました。

巨大ピラミッド
2006_08_08_クフ王のピラミッド
 これがエジプトのハイライト、クフ王のピラミッドです。巨大で端正です。いやぁーでっかいですね。しかし、市街地から1kmも離れていない&観光客が多すぎる+観光客にたかるエジプシャンが多すぎる、なのでゲンナリする人も多そうです。セキュリティチェックも一々あるのですが、ザルです。

2006_08_08_太陽の船博物館
 クフ王のピラミッドも中に入れます。先着300名らしいですが、午後3時に行って余裕で入れました。しかしカメラ持ち込み厳禁でした。紅のピラミッドに比べれば楽勝で、あまり楽しく無かったです。

 右下に見えますのは太陽の船博物館です。発見された場所にそのまま博物館を作る発想には恐れ入ります。しかしエジプトの古美術品が欧米諸国、特に大英博物館に略奪された歴史を見ますと、いいかもしれませんね。

2006_08_08_カフラー王のピラミッド
 奥にあるのがカフラー王のピラミッドです。大きいです。上の方だけ化粧石というのが残っています。筆者は小学生の頃までピラミッドは階段状にギザギザになっていると思っていましたが、本来は半透明の綺麗な化粧石が表面にはめられすべり台のように平らな斜面だったのです。4000年の間にこのピラミッドの頂上部を除き全部盗まれましたが。残ってたらキラキラして綺麗だった事でしょう。

2006_08_08_3大ピラミッド
 クフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドは3つならんでます。ツアーバスで来る観光客は大抵これだけ見て帰るそうです。

その他もろもろ
2006_08_08_スフィンクス
 その他なんて言ったら怒られそうなスフィンクスです。昔はあった筈の鼻とヒゲ。鼻はアラブ人が削ぎ落とし、ヒゲは大英博物館が略奪しました。
 スフィンクスが旅人にすると言う謎々です。
Q、朝は四本足、昼は二本足、晩は三本足になる生き物は何でしょう?

2006_08_08_階段ピラミッド
 階段状のピラミッドです。あまり美しくは無いですが、完全体への道のりだそうです。。しかし以前筆者は何処かで、真性のピラミッドより階段状のピラミッドの方が新しく、それが物語るのがエジプト文明の技術力の低下であり、衰退であると読んだ気もします。どっちなんでしょうね。

2006_08_08_ピラミッドコンプレックス
 ピラミッドの周りにはピラミッドコンプレックスと呼ばれるお墓群がある事があります。こんな感じの建物だったり、地下だったりします。殉死した方々等が埋葬されたそうな。この人たちは喜んで殉死したのでしょうか。疑問です。

2006_08_08_ケンタッキー
 お約束ですね。ケンタッキーです。確かにスフィンクスの視線の先にありました。2階はピザハットです。ケンタッキーとピザハットが同じ敷地にある光景を南米からチラホラ見かけますが、同列経営なんでしょうかね?

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夜明け前
2006_07_31_夜明け前大
 夜明け前です。標高2285m。階段3750段。ここはエジプトはシナイ半島南部に位置するシナイ山。ヤハウェがモーセに十戒を授けた場所です。
 ちなみに、極寒です。北欧以来使ってないフリースを捨てないで良かったと思いました。

2006_07_31_夜明け前2
 段々明るくなって参りました。宿を出たのが午後11時。麓に着いたのが午前1時、山頂についたのが午前4時半頃でしょうか。筆者にまだこれだけの体力が残っていた事に少々驚きました。途中でラクダに乗っちゃおうかなぁ〜と何度も思いました。
いやしかし、苦行ではないですが、自分の足で登ってナンボです。高いところが大好きです。

2006_07_31_星空魚眼
 段々東の空が明るくなってきています。魚眼写真だとわかりやすいですね。本当は真っ暗闇の山頂で星空を撮りたかったのですが、高山病にかかったポーランド人の爺ちゃんに付き合っていたので(後述)着いた時には明るくなり始めてました。まあ、いんですけどね。

御来光
2006_07_31_夜明け大
 そしてゆっくりと陽が昇ってきました。感動。筆者に十戒は聞こえませんでしたが、まあ無神論者でも感動できる事は間違いないです。

2006_07_31_太陽半分
 太陽さんいらっしゃい。隣にいた国籍不詳のおじいちゃんの眼が潤んでいました。その横でガシガシシャッター音を鳴らしていたのですが耳に入らないようでした。

2006_07_31_太陽完全体
 太陽さん、完全体。昔の人々は大抵太陽を信仰していたようですが、その気持ちがなんとなくわかりますね。解釈は様々で、地平の下に出番を待っている太陽が無数にあると思っていた民族もいれば、一つの太陽が死と再生を繰り返すと考えていた民族もいるようです。

2006_07_31_日光充満
 日光ぱわー。日が出ると体感温度が直ぐに上がります。太陽のありがたみが身に沁みます。富士山の御来光以来です。

シナイ山
2006_07_31_シナイ山頂
 登山中は真夜中で星とマグライトだけが頼りなので撮影出来ませんでしたが、これがシナイ山です。山頂です。絶景。

2006_07_31_シナイ山からの眺め
 シナイ山やその周辺の山は完全な禿げ山です。土と言うより岩の山です。過酷な自然です。

2006_07_31_山頂の教会
 山頂の小屋です。結構頑丈そうです。十字架が立ってますね。もしかしたら教会なのかもしれません。

2006_07_31_渓谷の写真
 こういう所を登り降りするのです。完全に岩山なのですが中にはビーチサンダルやハイヒールで登ってる欧米人も…。

巡礼者
2006_07_31_祈りの信者
 筆者以外は99%がクリスチャンかジューウィッシュのようでした。必死に祈る巡礼者とその奥でぼけーっとしているガイドの親子。なんかいいですね。

2006_07_31_寝過ごしカップル
 山頂は寒いので毛布とマットレスを借りれます。400円くらいで。筆者は寝たら起きれない気がしたので気合で直立不動を保ったのですが、案の定寝過ごしてるカップルが。なんか幸せそうですね。いい夢みてそうで、羨ましいですね。上から小石でも落として起こしてやろうかと思いました。勿論親切心ですよ。

2006_07_31_グループ同行者
 筆者の混じった登山グループの方々とガイドです。全部で12人のグループでした。真ん中のオジサンが高山病で途中から相当遅れ始めました。勿論べトウィンガイド君は脱落者は無視してズンズン進みます。オジサンはNIKONのD200縦型グリップつきを首から提げたままで一人ぼっちになっていたので非常に危険な気がし、同行しました。カメラを隠せと言っているのに聞かない偏屈じじいでした。オジサンはライトも食料も持ってきていませんでした。べトウィンは別として、ライトが無いと登れません。
 聞けばこのオジサン、ポーランド人。筆者はポーランドにいた頃の苦い思い出でポーランド人には思うところが多々あり、やっぱし置いていこうかと一瞬思いましたが、ラクダに乗ろうとしない男気を買って最後まで付き合いました。

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ペトラ!
2006_07_29_シークラクダ
 こんにちは、190cmです。インディージョーンズのロケ地になった事で有名で、ヨルダン最大の遺跡「ペトラ」に来ました!
いやぁ、でっかいです、凄いです。グランドキャニオン並みの自然と古代遺跡の両方を同時に楽しめる遺跡です。写真のように外敵の進入を阻んだ細い道、シークが続きます。崖が切り立っています。

2006_07_29_シークおばはん
 永遠と続く谷底道です。この先に遺跡が無くとも十分観光地になるであろう規模です。不思議の世界に続く道です。

2006_07_29_道祖神
 道端に時々ナバタイ人の信仰した神様が彫ってあります。道祖神のようなものでしょうか。崩れていますがその下には水路もあります。

エル・ハズネ
2006_07_29_エルハズネ大
 シークを抜けるとあるのがエル・ハズネです。インディジョーンズの舞台になった場所です。とにかく大きいです。圧巻。万歳。

2006_07_29_エルハズネ夕陽
 このエル・ハズネは岩を掘って作られています。ペトラの岩は非常に綺麗な赤色をしています。最初の写真は朝7時頃の写真、これは夕方5時頃の写真です。岩肌の色味が全く違います。凄いですね。

2006_07_29_エルハズネ柱
 エル・ハズネの柱です。これは柱を立てたのではなく、周りを削って柱の形に岩を残したのです。発見時には一本折れていたそうですが、元々一枚岩なので崩れる事も無く残っていたようです。

2006_07_29_シーク入り口
 ちなみに、ここがエル・ハズネの正面に出てくるシークの出口です。まさに大地の亀裂と言った感じですね。水による侵食で出来たようで、今でも雨が降ると河になるようです。何年か前に濁流に飲まれ欧米人旅行者が亡くなったそうです。

ペトラ中心部
2006_07_29_穴ぼこ住居
 ペトラは一大都市でした。全てがエル・ハズネのような建築っぽい穴ではなく、住居は単純な洞窟だったようです。そこら中にボコボコ穴が開いてました。この辺はカッパドギアなんかに近いですね。この辺の岩は柔らかく、削りやすいようです。

2006_07_29_半端神殿
 これは装飾はあまりしてないけど、単純な住居ではない洞窟です。結構このレベルのものも沢山あります。

2006_07_29_ローマ劇場
 最終的にはローマの傘下に下ったのでローマ劇場があります。噂ですが、日本人旅行者の中に各地のローマ劇場を巡りつくし、中心で歌い尽くしたツワモノがいるそうです。欧米人は手を叩いたりして音響を実感してますが、歌うまではいかないようです。

2006_07_29_石造り神殿
 ペトラには岩を削って作ったのではない、普通に石材を積み上げて作った建造物も沢山あったようなのですが、地震であらかた崩れたようです。それがペトラ滅亡の要因だとか。これは辛うじて残っている神殿です。崩れそうなのでフェンスで囲ってあります。

エド・ディル
2006_07_29_山道1
 さて、ここからはトレッキングです。不健康体だった筆者ですが、たまたま宿泊している宿が夕食つきで、しかもドケチで野菜ばっかり出すので健康体になりました。お陰で黙々と登れました。ガイドがいないと迷うと言う山道ですが、朝一だった為出勤するべトウィンに着いて行き無料で登りました。

2006_07_29_山道2
 たまやー。自力で登れない人はロバに乗れます。400円くらいで。乗ってもよかったのですが男190cm、出勤するべトウィンのロバに抜かれること十数頭、いつのまにか目的地に着きました。

2006_07_29_エド・ディル
 着きました、一時間くらいでしょうか。これがペトラ最大の神殿、エド・ディルです。エル・ハズネより大きいのですが、奥地なのでロケ地に採用されなかったのであろう秘境です。でっかいです。朝一に出たはずがここで正午になってしまい、暑いので内部に避難しました。そして気付けば昼寝を2時間してました。暗くて涼しくて中々の寝心地でした。
 ちなみに以前は屋根に上れたそうですが、欧米人が転落死して以来禁止になったらしいです。

ペトラあれこれ
2006_07_29_絶景
 筆者がエド・ディルでゴロゴロしていたら欧米人が真似しはじめうるさくなったので出ました。そして物好きな観光客しか行かないであろう奥地を目指しました。これがその絶景ポイントです。

2006_07_29_掘っ立て
 絶景ポイントには掘っ立て小屋ともいえないモノが建てられ、べトウィンの爺ちゃんと孫がいました。日に何人も観光客が来るはずも無さそうなこんな場所で2人っきりでぼけーっと。孫は時々笛を吹いて遊んでいました。何か、とても素晴しく思える光景でした。

2006_07_29_絶景べトウィンおじさん
 カメラはNGらしかったのですが、帰りがけにこっそり撮っちゃいました。爺ちゃん、多分絶景ポイントから人が落ちない為の監視員なのでしょう。筆者にそれ以上奥に行くなと声をかけつつ、ちゃっかりその辺で拾ったらしき古代のコインを売っていました。

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パルミラの遺跡
2006_07_20_回廊入り口
 生きてて良かった!190cmです。今はもうダマスカスにいるんですが、素晴しい経験をした感動は段々効いて来るものなのですね。パルミラの遺跡の中にいる最中は夢心地でぽんやりしているばかりでした。
 間違いありません、この遺跡は今まで見てきた中で最高です。何て言っても、近所で戦争しているもんだから遺跡独占貸切状態だったのです!
 チキンハート190cm、鳶とて鷹として生きねばならぬ時もある、とうそぶきながらシリアを縦断した甲斐がありました。サイコーです。

2006_07_20_墓所
 手前のおじさんは雇った運転手。公共交通なんて無い田舎なのでTAXIをチャーターしました。物価がそもそも激安なのですがリッチな気分になりました。奥にいるのは「遺跡の鍵を管理しているお